質問の力
「 地元の治療院で回数券を買うかどうか迷ってる。 」
以前に担当した、札幌からはちょっと遠いお客さんからの相談の電話。
腰痛治療を受けた治療院で、
お腹の筋肉が弱っているという検査結果を見せられ、週に数回来ないと治らないが、この回数券なら・・と、数十万円もする回数券に、徐々に心を動かされたと。
「そんなとこあるんか」と思いながらも、コチラの意見は言わないように。
個室で。
カードを持ってるか聞かれ、なければ今回の料金はツケ。
途中からもう一人スタッフが入ってきて説得。
あちゃー、テレビで見たことある!
とか思いながらも我慢。
「なぜ、相談してきたの?」
「何に迷ってるの?」
「将来のことを思った時に、その手段が一番いいの?」
「近いっていうのも価値ですよね?」
「その説明って、どう解釈したの?」
「家族とも相談して、自分の意思で考えてみて♪」
と、質問を投げては聞き役に徹して終わる。
後日、
「 自分で将来に向けて身体を整えられるようになりたい 」
「 なんでお腹が弱ってるんだろう? 」
と明確な動機と、前向きな意思を持って来店。
家族と相談もして、
「自分の意思で、自分の体は自分で守ると決めた」らしい。
自分の身体の状況を少しだけ自分で感じれるようになって、
腰の不調なく笑顔で帰られた。
固有感覚に意識を向けさせる、
質問の力ってすごい。
トラブルさえも、良いきっかけになるんだ。
ATMから学ぶ。
実践あるのみ
ヒトの運動に携わる自分が、どれだけ自身の運動と向き合っとるんかい?と。
しばらく探求しているWarmに近い動き。
それとは少し異なり、
そこにコアが要求されるワークの数々に、僕の腹部は大破し、足は子鹿のように・・
本日、
Hamaヨガ 初参加。
対象者に関わる際の、
1つ1つの言葉の重み。自信。
関わりの中での熱量。
対象者の固有感覚に働きかける言葉えらび。
過去の学びを消化し、自分の言葉として対象者に伝えること。
これらは、実践に実践。
その積み重ねのみで得られるんだ!
1つ1つのワークで得られる感覚を、
自身の身体で味わったからこそ、そのシークエンスを考えられる。
「まだまだまだまだ足らんよなぁ〜。」
そんなエールを受け取りました。
"仲間"というサブテーマの中からも個人的な気づきを得、
懇親会に行きたいところを今日は1人。
ピリ辛 カパオライスを、大破した腹部に注ぎ込もうと。
さて、改めて実践あるのみ!!
同志に感謝。。。m(__)m
日常の中からの学び
携帯にかかってきた、保険会社の電話オペレーター。
更新のやりとりの中に学びが多く、思わずメモを取った。
「復唱させていただきます。」と、
「コチラは大切な内容ですので、念のため復唱させていただきます。」の違い。
>「大切な内容なら。」と復唱を間違いがないか確認するように聞くことになる。
「 少々お待ちください。・・保留。」と、
「 カードセキュリティ強化中のため、これには少しだけ準備が必要です。少し保留にさせて頂きます。」の違い。
>保留の時間が、セキュリティに守られているという価値に変わる。
アクションを起こす前に、その"目的を示す一言"を添えるだけ。
こちらもその意図に同意の上で進むこととなる。
「 カード番号をお願いします。 」と、
「 カード番号を左から4桁ずつ読み上げてください。 」の違い。
>方法がより明確になることで、読み上げるという行動がスムーズに整理される。
こうしたコミュニケーションは、聞き手である自分の行動を変えた。
「こうしてください」と指導するわけでもなく、目的や手順を説明することで、対象者の行動をガイドする技術。
臨床に置き換えるとどうか。
シンプルな言葉で、治療の目的を表現できているか?
その言葉は、対象者を何か引きつけただろうか?
指導するのではなく、対象者のアクティブな動きを引き出すには?
エクササイズを伝える際、4桁ずつ、スムーズに誘導できているか?
学びは日常に溢れてます。
まず自分、その原因は?
空間認知をテーマに。
もともと自覚があったのは、
左に拡がる空間の、肩の高さくらいの認識が苦手。
ボクシングで言うと、右フックをもらう位置。
(格闘家なら致命的笑)
車で言うと、
左前輪あたりに気を配るのが弱く、そして左前輪にウェイトを持たせるのも苦手。
通勤中、左前輪ウェイトを意識しながら走行。その空間への意識も変わる。
支持面?荷重感?
ここでも繋がるのか。
歩く。
左小指球荷重も苦手。
もともとはそのダイアゴナル、右後方が苦手。
ヒコツ筋脱臼既往(先天性)あり。
?ほんとに先天性なのか?
眼球運動。
左斜め上方向苦手。左目、上斜筋動きづらい。
効き目は右。
朝のワーク。
自身の意識の拡げかた、注意の向けかた、に固有感覚を働かせながらのワーク。
Warmでダイアゴナルの屈曲を探求する中、
左右で意識の向けかたに違いがあることも気づく。
意識の向けられていない部分に気づき、そこを変えてみる。
左右で意識の向けかたに違いがあることも気づく。
視線の軌跡や支持面へ入ってくる感覚も変わる。
これは対象者にどう伝えるんだ?
と、まぁ焦らずいこうと戒める。
洞察力
歩き始めに膝の不調をもつ女性。
右膝の皿は内を向き、下腿は外に捻れた分化パターン。
本人が固有感覚を通して自覚できるよう、習慣・非習慣のパターンで床を踏んでみる。
非習慣の感覚を経験することで、自身の偏りに気づく。
すかさず、
不調のある歩行時へと、その感覚を繋げていこうとしてしまう自分に気づく。
そして、少しそこで間をとる。
すると、
顕在化した習慣パターンの膝の感覚に「身に覚えがある」として、仕事中に椅子の上で良くしてしまうという、右膝を曲げ、下腿を外旋して座面に載せるポーズにたどり着いた。
「そういえば、このポーズで長い時間パソコンに向かった後に歩いた時、特に膝の不調を感じるかもしれない。」
となる。
最初に立てた計画も崩れ、寄り道で真を得る。
コンテキストを求めて関わっていると、
本人すら意識に上っていなかった、不調のパターンや、それを形成した一要素へと、本人の気づきを通して繋がった。
その不調の要素は?
もっと優れた洞察力が必要なのだ。
さて、昨日の
ブログを見て、そこにコンテキストを見出した、優れた洞察力の持ち主は一人でも居ただろうか?
自信のある同志は、
挑戦してから下へと読み進めて 見て欲しい。
いや 1人もいないに違いない、なんせ本人すら気づいていなかったのだから。
すかさずLINEを送って頂いた同志を除いて。
『 Neutral 』
『 なかなかやるなぁ! 』
『 そこ行くところが素晴らしい!! 』
と。
続けて、
『 外山雄一さんの眼鏡のコンセプトがneutralやからね 』
購入にあたって十分に調べた上だったが、コンセプトまで目が行ってなかった。
にも関わらず選んでしまった Neutral 。
これはまさに・・。
そして知らずに、ブログの文脈は出来上がっていた。
対象者が不調を作るかの如く。
そこに気づく洞察力と知識。。
マジで怖い!笑
こんなブログの書き方のような遊び心を含んだ、対象者との関わり。
出来たら楽しいだろうなぁ〜
凝る
一緒に居る時間が長くなって、ますます愛おしい我が子。
共に過ごす時間をかければかけるほど愛が深まる。
ファッションもそう。
だいぶ無頓着になってた自分が、妻に「なんかあったの?」と心配される程に、凝り始めた。
そして、
ついに躊躇していた領域にも足を踏み入れてしまった。
by Yuichi Toyama
「ある刺激に繰り返し晒されることで、刺激に対する変化が生じる」
ザイアンスの単純接触効果が、こうしたことでも言えるらしい。
興味や探究心は、自ら動いて触れていき、"凝る"ところまで没頭して初めて湧いてくる。やればやるほど探究心が湧いてくる。
でも、
そこまでやると自分はやり過ぎる(時間がかかり過ぎる)ため、他とのバランスを気にするあまり抑制する。
そして時間あたりの達成度や効率ばかりを意識する。
"速さ"や"効率・効果"ばかりを意識すると、探求の路から外れていって、
楽しさまで失われる。
これが習慣と認識した現在。
真逆を探求しているところ。
対象者の探求を阻害する自分の不安
先月に依頼を受けて実現した、乳児を連れたご夫婦のご来店。
相談時の狙い通り、
自宅で昼食を済ませた後の移動中、まんまとお昼寝に突入した子供と共に、ご夫婦は静かにドアを開いて来店。
そーっと起こさないように店のソファに寝かせつけ、さて、これで二人ともゆっくり過ごせますね、と。
奥さんの施術中は、
旦那さんも待合で一緒に夢の世界へ。
音楽も電話の呼び出し音も消し、静まり返った店内に寝息が2つ…
そんな中での、奥さんの腰痛の施術。
簡単な問診を終えた後は、この状況に楽しくなって必要以上に無言。
これが、言葉を使ったコミュニケーションの制約。
所見は、
上手く荷重が出来ない左股関節。それを代償する右股関節外転筋群の硬さ。
吸気方向に硬くなった胸郭からは、時間に終われる日々の中での習慣的に浅くなった息遣いを感じる。
その2つに挟まれた右腰部の深層筋が、上体を起こすという仕事に悲鳴をあげているような腰痛だった。
座って上体を起こす。
ちょうど子供を抱っこするような動きを1つ目のリファレンスに。
仰向けで地面に足を押し込む、ブリッジのような動きを2つ目のリファレンスの動きに。
その中で、
再現痛を確認しつつ、そこに参加する身体の各部位の役割を、無言で共有したつもり。
この時点では、この動き痛いなぁ位だろう。
膝を立てた臥位から、
股関節や下腿の様々な位置関係の中、左足底への荷重のバリエーションを探求していく。
言葉を使う普段よりも、
足底へ荷重を伝える手が、全身のリアクションを確認しながら行うように繊細になった。
対象者の頭の上に、時折 疑問符が浮かぶけど、この暗黙の"喋っちゃダメよルール"の下に一旦飲み込まれる。
足底へ荷重しようとする際、
過剰に反応する股の屈筋が収縮するのを辞め、より楽な荷重感覚を見つけた頃、2つ目のリファレンスに戻ると、対象者はなんだか納得した表情をした。
その後、右股関節、上部体幹へと進むが、
疑問符が出ては、リファレンスの動きに戻るたびに何かを実感していくようだった。
結論として、
運動スキルを伝えるのに、言葉ってどんだけ必要なんだ?という話。
頭の上に浮かんだ疑問符を、言葉を使って解消してしまっていたことが、対象者の探求を妨げていたんじゃないかと。
『 探求は、答えを見つけることじゃない。』
頭では分かっていながらも、そこに言葉を投げたくなっていた事は、自分自身の不安。
終わって立ち上がった頃、
子供はもう起きているにも関わらず、言葉はいらずに2人で頷いた。
大切な気づきを、この制約からもらいました。
感謝!