それは内からの言葉か?

 

文献 読んだり、研修に参加したり、人から聞いたり。

 

外から取り入れた情報を、

さも自身の実体験のような"つもり"になって、対象者に提供する。

 

 

 

 

うぅぅ〜〜ん。耳がいたい・・か。

多かれ少なかれ、そうした"錯覚"はよくある話。

 

納得しがちな内容だったり、

エビデンスが出てますというと尚更その探求は止まってしまう。

 

 

それはまだ自分の経験ではないのだ。

 

 

 

 

一方ではこれを是として、他方では非としている。

どちらが正しいのか。

 

 

 

 

情報が多く溢れている中で、正しい情報を選ぶには???

 

 

 

自身で経験する。探求する。

 

 

 

 

ヨガの教えを学びながら、

同志の大切にしていることを学びに。

 

 

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自分にもっと必要なのは、

やはり"実践の積み重ね"であると。

 

そして哲学。

本質を洞察する。

 

 

 

 

 

 

1つ1つのワークの意味を味わい尽くしたからこそ出来るワークのフローに、

また子鹿プルプルを味わいなりながら。

 

そして筋肉痛の気配がまたない不思議。

 

 

 

 

 

 

 

なんか、ふと今回も思った。

もっと元気を出していこうと♪

 

空元気から探求します。