生活にもConstrainを適用する

自宅キッチンでの妻との一コマ。

 

 

食洗機の前に、洗ったフライパンやまな板を乾かすためのカゴがある。

そこに食器が溜まると食洗機の開閉がしづらくなり、奥の方の出し入れするのに一手間必要になる。

 

 

「 これって使い勝手悪くない? 」

 

『 他に置くとこないし、これ以外の方法がないのー。』と妻。

 

 

 

 

 

 

自分もいつもそうだった。

これが最善と勝手に限界を決め、新しい学びを放棄してしまう。

 

 

忙しくて時間がないから、

 

>新しい仕事は気が進まない

 

>時間のかかる趣味はできない

 

>こんな仕事できないよーきついわぁ

 

とかってなる。

 

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これが精一杯。

自分では「上手く反れてる」ように思えても、見る人が見たら分かりますよと。

 

 

 

 

そんな時、本当にそうだろうか?と疑ってみる。 

『絶対できない』って思うような非習慣を選ぶようにしてみる。

 

 

 

より時間がなくなることで、

時間の使い方を改めて精査する必要が出てくる。

 

 

 

 

 

「よく考えて選択をしてるから、不必要な事なんてない 」

と思っていたとしても、一旦 辞めてみることで違う価値観で判断していくことになる。

 

 

 

 

 

 

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足で押す事をやめてみると、 手で全然押せていないことに気づく。

 

 

 

一時的には「 イヤーー、余計時間なくて眠れん。これは生活に支障が。 」とかが出てくる。

その時に上手くいかなくなるのは当然で、そこからどう動いていこうかと、学びに焦点を当てること。

 

 

 

 

 

 

 
動きづらいからこそ、不参加なところが参加を始めたりと色々な新しい学びが起きる。

「動きづらくなったから合わない」とすぐに終わらせないこと。

 

 

これがどうやら大事のようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『 こっち向きに食洗機置くと、日光 遮るから絶対イヤって思ってたけど、数日置いてみたら意外と気にならない 』とか、

 

『 フライパンはカゴじゃなくて、そもそも吊るせばよくない? 』とか、

思ってもいなかった整理の仕方を発見できていく。

 

 

十二分に悩んだ結果であれば、

『 やっぱり食洗機はやめよう 』って言う選択肢すら出てくる。

 

 

 

 

まだまだ、悩まされることが多い時間。

限界を作るのはいつも自分。

 

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うん、まだキツイっす。