学びの循環

過度な腰椎前弯を呈した、ピアノの先生。

 

 

子供がピアノを弾くのを立って指導したり、

横に座って指導したり。

 

立ち座りの時の痛みから、どんどん立ってるのすらしんどくなり、

 

病院に行くと診断がついて、痛み止め処方とリハビリ開始。

 

 

 

下腹部のトレーニングを中心に、

とにかく「お腹を引っ込めるように」努力すること180日。

 

「寝てる時に痛い」と担当者に伝えたら、ベットの中でも引っ込めろと。

 

力を入れるとなんか楽。

画像所見も悪化なし、手術の必要もなし。

リハ終了。

 

 

 

 

「とうとう、どう立ってるのかすら分からなくなりました。」

 

 

 

 

そんな彼女への関わりは、

固有感覚的な気づきを提供するところから。

 

 

足底にどう荷重しているか?

その時、腰や股関節で何が起きているか?

 

持ち合わせたパターン以外をやってみると、自分のくせと現在地に気づいた。

 

 

より楽に立てる位置を見つけると、

下腹部に力が入るような感じがした。

 

 

 

 

彼女はただただ、

楽にピアノを教えたいだけだった。

 

 

 

 

 

目的と手段は合っているか?

 

その努力は気づきとなって、

ピアノの指導に繋がるコンテキストを持っているか?

 

 

 

色んな子にピアノを教えると、自分の弾き方にと気づきがあるらしい。

 

対象者からまた学ぶ。