おばあちゃんからの学び

今日は早朝から動き回り、仕事後も自宅へ戻り、実家へ、おばあちゃんのいる家へとバタバタ。

 

身体は疲労しているけど、全く大変じゃない。

優先度を意識して、「大切なものを大切にするために動いている」という、明確な目的があるから。

 

 

今回のクリスマスパーティーは、妻の家族にとって本当に大きな意味のあるものだった。

 

おばあちゃんは、本当にそれをわかっていたと思う。

 

これは僕1人の勝手な解釈だが、クリスマスパーティーの 5日位前から、おばあちゃんの左足は壊死し始めた。

血流が不安定な中、トカゲのしっぽのように、左足回の血流を止めたことで数日間生きながらえたのだと思う。

このことを思うと涙が出そうだ。

 

それぐらい、妻の家族にとってのおばあちゃんのいないクリスマスパーティーに大きな意味があった。

 

これも僕の勝手な解釈だが、優先度を考えて行動する時、最優先のもののために何かを犠牲にしているわけではない。

 

犠牲にできるものを探しているのではなく、最優先の大切なものが、どうしてもゆずれないものであるということなんだ!

 

 

今日の臨床では、新規の方が3名。

自分にとってのゆずれないものは何なのか?すごく考えながら、おばあちゃんのことを考えながら臨んだ。

 

どれもこれも大事にしすぎて、どうしてもゆずれないものが見えていないんじゃないか?

 

お金を払っていただき、足を運んでいただき、そこに対する責任。

こうした自分のもつ責任という弱みの保証に重点を置きすぎて、自分にしかできないことや、決して譲れないものまで、大切にできなくなってはいないか?

 

 

その場の満足度にこだわりすぎるせいで、自分にしかできない「その人の人生を考えて最善を尽くす」と言うところが弱くなってしまっているんじゃないか?

 

そんな強い意識の下、新規の方々に関わると、今までにはないほどシンプルなリファレンスとアプローチを提案することができた気がした。