ぐんぐん!はなんや!

学習の天才達は"意図そのもの"だった。

 

 

同じものを見ても、手に取っても、

子供によって興味の対象は違うらしい。

 

洗濯バサミ1つ。

「これ!これ!」   と大人のリアクションを見たい子。

「あか?きいろ?」  色に興味がある子。

「やって!やって!」 服を摘んで遊ぶのが楽しい子。

独占欲で独り占めにしたい子。

 

 

蚊みたいな虫にも。

オモチャの鍋の蓋みたいのにも。

ちょっとした真似も。

 

すげぇよ。何でもまずはやってみるんやね。

んで出来んくて泣く。

 

 

 

真剣に真似してやってみるけど、建前しかできんよね。

 

 

 

 

そして昨日の保育園帰りも。

 

息子の最近のお気に入り。

ショベルカー=ぐんぐん探しのドライブ。

 

「うわぁーーーーーー!」

「ぐんぐんいた!!」

「おっっっきぃぃーーーの!!」

 

 

 見るだけで興奮。

 

 

 そして、店でぐんぐんのオモチャを見つけた瞬間。

「ぐんぐんだーー!!!」

 

とっさに手を伸ばし、ぐんぐんのオモチャにすぐさま手が伸び離さない。

 

 

帰ってきて猫に自慢。

 

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「びゅーーーーー!!って。強いよ!ぐんぐん。」

「ぐんぐん!スゴいよ。ぐんぐん。」

 

 

 

 

『人(猫)に、ぐんぐんの凄さを伝えたい』って意図で必死に喋る。

 

言葉の発達ですら、意図が先か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いやぁ、参ったわ。。。

 

わかっちゃいたけど、自分の興味、目的、意図がやっぱ先。

どうしよか。

 

 

「成長したい」とか、これは意図でもなんでもないんか・・。 

 

だからさ、GTMを学ぶにしても、何を学ぶにしても手段でしかない。

学びの意図は?

なんのために学びたい?

どんな所に興味がある?

本当に楽しい?

 

わかってたけど、そう思いたいだけ?

 

 

 

『 与えられた環境の中で必死に 』とか

『 人のためになるように努力します 』とか

『 周りの人が喜ぶように』とか

そんな綺麗ごとのような所がメインに立つ習慣。

 

 

そんで一人 自宅に帰ってきてから、

自分の意図はどこ?本当にしたい事は何?あつとくらい興奮できる楽しみって何?

っていう自分の問いになかなか答えられん。

 

バタバタ余裕のない中で過ごしすぎて、頭で考えて行動しすぎて、「自分はこうしたい」に折り合いをつけて生きてきて、自分本位の興味や楽しみの本質を忘れてるんかな。

 

 

 

でも薄っすらとある気持ち。まずは取り戻そうか。

昨日今日でわかってきた事。

これから自分はどう行動していくか。

思ってもみない方向にいくんかもなぁ。