それは内からの言葉か?

 

文献 読んだり、研修に参加したり、人から聞いたり。

 

外から取り入れた情報を、

さも自身の実体験のような"つもり"になって、対象者に提供する。

 

 

 

 

うぅぅ〜〜ん。耳がいたい・・か。

多かれ少なかれ、そうした"錯覚"はよくある話。

 

納得しがちな内容だったり、

エビデンスが出てますというと尚更その探求は止まってしまう。

 

 

それはまだ自分の経験ではないのだ。

 

 

 

 

一方ではこれを是として、他方では非としている。

どちらが正しいのか。

 

 

 

 

情報が多く溢れている中で、正しい情報を選ぶには???

 

 

 

自身で経験する。探求する。

 

 

 

 

ヨガの教えを学びながら、

同志の大切にしていることを学びに。

 

 

f:id:hideo1214:20180705174412p:image

 

 

自分にもっと必要なのは、

やはり"実践の積み重ね"であると。

 

そして哲学。

本質を洞察する。

 

 

 

 

 

 

1つ1つのワークの意味を味わい尽くしたからこそ出来るワークのフローに、

また子鹿プルプルを味わいなりながら。

 

そして筋肉痛の気配がまたない不思議。

 

 

 

 

 

 

 

なんか、ふと今回も思った。

もっと元気を出していこうと♪

 

空元気から探求します。

 

 

 

ただただ復唱する

自宅の押入れにしまっておいた、

大好きだった"鯉のぼり"を見つけた2歳の息子。

 

その後のドライブ中の車内。

 

 

あつ『 きょうね、こいのぼりみつけたのぉ。。』と。

 

 

 

 

その感動を、

両親に"なんとか"言葉にして伝えようとしている。

 

 

こちらも、その感情を、言葉を、

共感し引き出し、会話を楽しみたい。

 

 

 

 

「 そうなんだ、1階で見つけたの?それとも2階で見つけたの?」

 

こんな選択肢を提示したクローズドクエスチョンを使った会話は、言葉を引き出しやすい。

 

あつ『2階だったのぉ〜』と。

 

 

 

 

 

相手に選択肢を与えるので、

「初対面の人と会話が広げやすい」というのが一般的で、とりあえず会話が成立しやすい。

 

 

 

 

確かに言語が未発達の子どもと話すには有効な手段かもしれない。

 

でも、なーーんの面白みもない。

だってその質問には正解があるから。

 

 

 

 

それよりも、

あ『 鯉のぼり見つけたのぉ

自「ヘェ〜見つけたのかぁ。すごいねぇ!! 」

 

からの

 

 

 

・・・

 

あ『 すごいのぉ、鯉のぼりーー』

自「 ヘェーすごいね。鯉のぼりかぁ!!

 

 

からの間

 

 

 

 

 

テンションだけ引き継いで、倍返し。

 

言うことを復唱し、

なんだったら言いそうなことを先どりしてしまって

 

からの間。

 

 

 

 

 

伝えたい!!

 

この感動を!!!

 

という、

息子のフラストレーションが高まって行くのを感じる 笑

 

 

 

溜めていくと・・・

 

 

あ『  おおおぉぉぉっきいいのぉ!!! 』

 

あ『 泳いでるよぉぉぉぉ〜〜!』

 

 

f:id:hideo1214:20180704092410j:image

 

と、新しい展開や発想が生まれる。

息子なりの言語をフル活用して、なんとか伝えてくる!

 

それがまた可愛いんだ。

 

 

 

 

 

 

復唱。復唱。

 

からの間。

 

するとなんか新しいのが出てくる。

 

 

 

 

 

 

The Early warmの復習は、

復唱、復唱、復唱を自ら繰り返す。

 

ATMの言葉を書き出し、ワークする。

人に提供するには、また言葉選びが必要になる。

 

間をあける。

どんどん気づきや疑問が出てくる。

 

 

 

 

 

迷い

 

 

焦点を、足りない部分に当てるのか?

満たされている部分に当てるのか?

 

 

ネガティブ/ポジティブ

どっちでもいい。

 

 

その中で自分はどちらの傾向にあるのか?

 

 

自分のその傾向を知っていないと、

正確な天秤で計れないままに、不幸に焦点を合わせ行動を選択してしまう。

 

大切なのは、

その傾向に気づくこと。

 

 

 

 

 

 

焦点を、他人に当てるのか?

自分に当てるのか?

 

 

その場に身を置いているのも、自分の選択の1つだということ。

 

その他人とともに行動することを選んでいるのは自分であって、

自分の目的を達成するために、その今を自分が選んでいる。

 

 

自分が何によって満たされ、どんな目的でその今を選んでいるのか?

 

"相手のため"と思い行動する選択も、そんな自分を満たすためであって、相手のためではない。

 

 

 

 

 

 

手段に目を奪われて、目的がどっかいってしまってないか?

 

 

側から見ていると、

既に十二分に目的を達成している 友人。

 

自分らしさを前面に出し、こだわりを持って面倒臭い人になってるで。

 

 

それが結局したい事と違うんかなぁ。と。

前よりずっと光ってる。

 

 

 

 

 

 

日々の選択の中で道に迷う時は、

自分が何者であるのか?が明らかになっていない時。

 

どうする?と手段を探す前に、

自分の現在地を、足元を、その目的を、しっかり知ること。

 

 

 

 

 

 

自分は自分が一番見えない。

でも自分しか変えられない。

 

 

夜な夜な 人の相談を電話で聞いて、

自分を見ているかのように感じつつ、偉そうなこと言いながら、自分にも再確認。

 

 

 

 

 

 

無事、決勝トーナメント進出を果たした日本代表。

 

f:id:hideo1214:20180629092323j:image

 

 

試合後の会見。

 

 

 

アディショナルタイムの戦い方は、"本位ではないが手段である"と言い切った選手たちに印象が残る。

 

いいかわるいか知らんけど、

その選択が出来るのは目的が明確であるが故に、目的は達成されたということ。

 

 

色んな選手がいると思うけど、

おそらく多くの選手の小さい頃からの夢と、そこに向かう努力は、コートの外の他人のためではない。

 

 

 

違う視点からのネガティブな意見に迷うことはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

鏡像

骨盤を後傾して、大腿も下腿も外に捻れ、

 

足は内がえしして足底外縁で接地。

 

腰部伸展して上体を起こす姿勢。

 

 

 

 

 

 

>足底の外側が痛い

>走ると腸脛靭帯炎

>お尻の外側も痛くなる

>O 脚も気になる

>登山で人より疲れやすい?

 

『 これ全て右足なんです!』

と、なんとも取り憑かれているかのように話す60代の女性。

 

 

 

 

 

 

 

「その原因は?」を、

頭の中でヘビーローテションし評価を進める。

 

 

 頭を少し右に捻り対象物を見る視線のクセ

 

  ↓

  胴体Warmの動きの左右差

:左Diagonalパターン |左手で右下方へのリーチが習慣的

 

    ↓

 それを支える足の不均衡 

:腰部と股関節の未分化|腰部伸展・股関節伸展

:大腿と下腿のグローバルパターン|外旋外旋で外側接地。外側支持機構しか使えない

 

という仮説へ。

 

 

 

 

 

 

より本質的な原因に近いところを・・と思いつつも、まずは一番に取り組まないといけないのは『自己認識』と考えた。

 

両方どり出来ないのは、探求不足。課題だ。

 

 

 

正しい位置はココよと教えちゃうのは、

濃いめ味噌汁が普通になってる父ちゃんに、「これくらいの飲みなさい」と不味いのを出しているようなもの。

 

 

 

 

 

自分の身体の使い方の左右差は?

どう地面を踏んでいるか

主観的に気づいていかなければ、いつまでも被害者を演じ続けなければいけない。

 

 

 

 

なぜか右足だけ内転筋や内側広筋が不足し、

筋トレを続けなければいけない。

 

 

なぜか右立脚期に重心が外に動揺し、

右足で地面を踏む時は気をつけなければいけない。

 

 

腹部の深層筋が使えず・・・

 

 

加齢と共に脛が外に捻れ・・

 

 

 

 

発達段階や過去の損傷、その回避などから形作られた、現在の習慣に気づくこと。

 

原因は全て自分にあるということを知らなければ、

いつまでも表舞台に上がることなく、不調という滞りに直面しては自身の不幸をなげくだけ。

 

 

 

全ては自分次第、という無限の可能性に気づくこともない。

 

 

 

 

 

 

 

そこで選んだのは、 

主訴と関連を見出しやすい、荷重感にリファレンス(基準)を置くこと。

 

 

それを元に、

足の荷重パターンの習慣的パターンと、非習慣的なパターンを繰り返す。

 

非習慣パターンで踏むことは、習慣パターンの拮抗筋抑制となり、

自身の偏りに気づきが起こる。

 

(興味のある方はGuide to movmentワークショップへ。)

 

 

 『こんな濃い味噌汁飲んどったんかい!』と。

 

 

 

不調はその場では改善し、

歩行場面においてどのような影響があるか?を感じていただき、一時間の幕は閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

翌日 「今は痛みはないけど、元に戻りそうで不安」とメールがくる。

まだまだだなぁ、と。

 

違いを楽しむこと自体が本質だけど、

「また不調が出ないかな?」と過去のトラウマから考えてしまうことは当然の中、どう楽しんでもらおうか?が課題。

 

 

 

それは自分自身が日々の習慣と向き合う中、

まだどこかでそう感じてしまっていることの鏡像。

 

本当はもっともっと楽しむのが得意な子供なはずなんだけど、こいつには負けます。

 

f:id:hideo1214:20180628001017p:image

 

 

ちと、長くなりすぎました。

f:id:hideo1214:20180628001200j:image

 

Garden

早く臨床に戻りたい気持ちの中、

そこに偶然できた間。

 

 

 

自宅から徒歩圏内に、

散歩コースにピッタリな、こんないい所があったとは。

 

f:id:hideo1214:20180624224236j:image

 

f:id:hideo1214:20180624224340j:image

 

f:id:hideo1214:20180624224404j:image

あることは知っていても、やはり一歩足を踏み入れてみないと何も始まらない。

 

 

f:id:hideo1214:20180624225117j:image

Royce Rose garden。

 

 

 

 

そこから次なる目的地、

恵庭にあるCafe キャロット。

 

f:id:hideo1214:20180624225609j:image

 

 

 

 

先日 行った、

知る人ぞ知る 酒屋の名店も、

f:id:hideo1214:20180624224921j:image

 

f:id:hideo1214:20180624224935j:image

店は綺麗な緑に囲まれていたなぁ。

 

 

 

 

そしてキャロット近くにある、

ガーデン センターによって

f:id:hideo1214:20180624225216j:image

 

 

そこで見つけたカフェでお昼を。

f:id:hideo1214:20180624225754p:image

 

 

 

 

図らずとも、

強く繋がった今日の休日のテーマ。

 

語源は Gard - eden。

 

 

自分の園を守る。

 

 

 

 

外に出て没頭した学びの後、

導かれるかのような有意義な休日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学びは始まり

たくさんのことを学びたい。

多くの知識や技術が欲しい。

努力した分、成長する。

 

そのためには、

お金も時間も割くのを厭わない!!

 

学びに無駄なことなんて決してないんだから。

 

 

 

 

そんな思考に陥っていなかっただろうか?

どれだけの遠回りをしていたか。

 

 

 

 

何をどう学ぶか?ではなく、

その学びの結果、自分の行動はどう変わるか?

 

結局大切なのはコレだけだ。

 

 

 

知識や技術を外から得て保有することが価値なのではなく、外からの働きかけによって自分がどう変化するか?と内側に目を向け続けること。

 

f:id:hideo1214:20180623191427p:image

 

 

 

今回の研修会参加を決めた時、その目的は何か?

と、自身に問うた。

 

終了時の自身の変化、行動の変化までを一旦 明確にイメージし、それを達成することを参加目的とした。

 

 

 

 

 

奥深さに尻込みすることもなく、

余計な謙遜をすることもなく、

ただ自分の目的を達成するべく学びに集中する。

 

人より出来るかどうか?

それは基準でも価値でも、目的でもない。

 

 

 

共に学ぶ仲間は同志。

互いの目的を達成するべく行動を共にし、

互いが成長するべく機会を与えあう。

 

より深い感謝が湧く。

そして共に楽しむ。

 

 

 

 

 

一旦 明確にしたその目的は、途中で変わることもあった。

 

 

触診技術の探求から機会を得て始まったこの学び。その長い歴史の中、今にこうして受け継がれる中に身を置けることに、改めて感謝。

 

 

 

学んだら 終わりではなく、

学んだら 探求の始まりがあるということだ。

 

 

 

研修が終わりに近づくにつれ、

スタートラインに近づいていくという、不思議な感覚がそこにはあった。

 

f:id:hideo1214:20180623191435p:image

 

 

学びの時間

昨晩は家事や準備に時間を費やし、

"数日家を空けるから"と、家族と晩酌をしながらコミュニケーションを図る。

 

f:id:hideo1214:20180620094543p:image

 

就寝は1時近くとなって、

5時半起きの予定に案じつつも、楽しみな気持ちが上回って4時代に目が覚めた。

 

限界は自分がつくる

その再確認から始まった、今回の学びの旅。

 

 

 

数ヶ月ぶりの千歳空港の変わりように、自分の行動の変化を改めて感じた。

 

 

 

身近な自身の習慣を変えることにフォーカスし、一旦 学びを外に求めることの多くを手放したが、ここへの欲求のみは残った。

 

 

 

今日これからの学びは、

これまでの学びと、どんなコンテキストが得られるのか?

どう行動を変えるのか?

自分の人生にどう影響するのか?

 

 

 

 

その場に身を置いて学び、

受け継がれてきたその文脈に触れながら、このワクワクした気持ちの原動力をまた自身に問う。

 

f:id:hideo1214:20180620094554p:image